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主日の御言葉「祈り、祈りはどうして必要か、祈りとは何か」

祈り、祈りはどうして必要か、祈りとは何か

<本文>ヨハネによる福音書15章7節
エペソ人への手紙6章18節
テサロニケへの第一の手紙5章17節

<祈り>は何か困難に直面した時や、問題がある時だけするのではなく、ご飯を食べるようにしなければなりません。
いつも必要な時になれば話すように、神様と聖霊様と御子とも対話が開放され、随時しなければなりません。
<生活の対話の祈り>です!

どのように祈るべきでしょうか。
祈りはまるで釜(かま)に熱いお湯を入れて沸かして、肉を茹でるようにしなければなりません。
お湯を沸かしている途中でやめたら、肉が茹で上がりません。
だから祈る時は釜に食べ物を入れて沸かすように、熱くしなさい。

祈りが煮え、熟さなければなりません。
食べ物がぐつぐつ煮えてこそ食べるように、穀物も果物も熟してこそ食べるように、祈りが煮えて熟してこそ、神様が受け取るのです。
この言葉は絶対的だから、誰でも祈る時は釜にお湯を入れてぐつぐつ沸かすように、完全に沸かしなさい。
遅れても、大変でも、<祈り>が、食べ物が煮えるように、果物が熟すように、煮えて熟してこそ、神様がその祈りを受けて実行するのです。
70日、100日、200日、果物が熟すように、祈りが熟すようにしなさい。

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