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主日の御言葉「神様の歴史の盲人になってはいけない」

神様の歴史の盲人になってはいけない

マタイによる福音書15章13~14節
15:13 イエスは答えて言われた、「わたしの天の父がお植えにならなかったものは、みな抜き取られるであろう。
15:14 彼らをそのままにしておけ。彼らは盲人を手引きする盲人である。もし盲人が盲人を手引きするなら、ふたりとも穴に落ち込むであろう」。

ルカによる福音書6章39~40章
6:39 イエスはまた一つの譬を語られた、「盲人は盲人の手引ができようか。ふたりとも穴に落ち込まないだろうか。
6:40 弟子はその師以上のものではないが、修業をつめば、みなその師のようになろう。

神様は<この世に計画し、目的となさった歴史>のために、預言者たちを通して前もって預言し、教えてくださいました。
<約束した一つの時代>を念頭において、旧約4000年間、各時代ごとに働きかけました。

そうして<神様の時>になって、神様は「待っていた歴史、約束なさった歴史」を始められました。
しかし<旧時代人たち>はその時「新しい歴史の盲人」になって、<神様が始められた新しい時代>と<メシヤ>を受け入れられませんでした。

平素深く祈って、正しく信仰生活をして、目を開いていてこそ、
時になって<神様の新しい歴史>が来たら、開いた目で分かって、「新しい時代」を受け入れます。
しかしそれぞれ「盲人になった信仰生活」をするから、いつも「見るべきもの」を見られず、「もらうべきもの」をもらえず、苦痛を受けます。
時が過ぎれば顕わになるから、その時間違いも認め、後悔もするけれども、すでに「時」も過ぎ、「自分の時代」も過ぎたからそのまま終わります。

この時代に神様の御心を広げていく中で、話せない「数百のこと」をすべて身をもって味わって生きています。
だから「苦痛」も受けるけれども、「実感」があります。

神様の御心を成して神様が願われることをするから、喜びと希望と甲斐と愛です!
聖三位に全ての栄光を帰します。

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